
坂 村 真 民 の 世 界
よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新13.1.23)

(重信川から見た皿ケ嶺連峰の日の出(朝焼け)・2001年1月1日撮影)
あなたは 人目の来訪者です。
坂村真民さんの略歴 明治42年1月6日 熊本県に生まれる。8歳の時に、父親 の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇 学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年 から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩 作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛 評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随 順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、 月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発 刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ て建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、 その数は現在,海外の20基と合わせると570基を超える。 主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。 (南股小学校の除幕式にて(12.9.16撮影) |
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第 四 十 巻 2 月 号 |
冬の花 冬の花は 香りを持つ 特に水仙の 香りはいい アインシュタインが 水仙になった という話も 好きだが 水にゆかりの深い わたしは この花に特別 心ひかれる 若い観音さまに お供えして 鳩寿二となる |
双海町・国道378号沿線の水仙![]() |
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鳩寿二の誕生日
スタートに立つ 一人で迎えた元旦
妻と一緒になってから |
二千一年二十一世紀の初光 四国で一番高い山は |
初 詣 第五百五十五番 額をつけて 一月二日、日赤脳外科病室にて 寝ている妻の額(ひたい)に まだ序の口 九十二歳は
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朴 愛 朴を愛していると あとから来る者のために あとから来る者のために 恩寵に応える 熊本師範学校第二部の入試の際 |
1.前向きに生きる どんな世の中になろうと、前向きに生きることが、一番大事である。 年をとることの恐ろしさは、この前向きに生きる精神の衰えである。 一般の人は、体が衰えると心も衰えると考えるだろうが、決して、そうではなくて、世に何かを為した人は、逆境のな かで、立ちあがった人である。 今年は実に良い年である。二千一年、二十一世紀が始まり、母なる星である地球の命運が、決まると言ってもよ い、第一歩の年である。ほんやりと生きてはならない年である。 日の出も良かった。今月号の詩に出てくるように、二十一世紀は、希望の光を与えてくれると思われたであろう。 地球上には多くの国があるが、海に囲まれた島々だけで国造りをしてきた民は、そう多くはない。 海は産み、産む、生命の根源を持っているのが海である。 何かのことで後向きの人間となったら、どうか海を見に行ってください。必ず前向きの人間にしてくれるでしょう。 わたくしは一白水星の生まれ、特別水と深い縁を持っているので、「すべての川は海に向かって流れる」というロマ ン・ロランに、共鳴するのである。 前向きの国、前向きの民、前向きの政治、前向きの学問、前向きの二十一世紀であれ。 2.何が一番大切か 毎月第一日曜日に、近くの開花亭という処で、朴庵例会を開催しているが、二千一年二十一世紀第一回の朴庵 例会であるので、「何が一番大切か」と言うテーマで、一時間三十分の講演をした。東は富山県、西は大分県、各地 から参集して下さり、満九十二歳になった翌日であったから、花束など頂き盛大であった。 今の日本では、大人も子供も、何が一番大切かと問うたら、お金だと答えるだろう。でも、そうではない。唯物論、唯 心論、聖書、仏典、日本民族の使命等、いろいろ話をし、最後に、朴葉笛を吹いて、延命長寿、無病息災を祈った。 二度とない人生だから、常に「何が一番大切か」を自分に問い、二度とない人生を、生きてきてよかったと、感謝の 言葉を告げたいと思う。そういう意味からでも、今月号の詩「あとから来る者のために」は、すべての人が、実行して 貰いたいのである。 わたしは毎暁長い重信川の橋を渡り、彼岸の川原で祈りをしているのであるが、飲み捨ての罐(かん)が、よく捨て てある。自転車で通る人には危ない。時には三個も拾うことがある。これもあとから来る者のことを考えたら、しては ならぬことである。経済大国となったのはいいが、その反面大切なものを失ってゆく今日の日本が、嘆かれてならぬ。 3.妻の病状 病名は脳血栓(のうけっせん)だが、頭の中の、舌を動かす機能、物を噛む機能、飲み込む機能がやられているか ら、鼻を通して、管(くだ)を通して胃に入れ、栄養や水分を取るしかないので、可哀想でならぬ。ちよっと油断すると、 取りはずすという。はめるのが大変なので、側を離れることができない。 主治医の先生は、血栓の場所から考えて、この管ははずすことは、できないだろうと、言われるとのこと。わたくし は奇跡を信じて祈るほかないと思っている。 日赤にも、そう長く居ることもできないようだから、老人医療の病院に移ろうと思っている。 しっかりしろ、しんみんと、自分で自分を励まし、生きている昨今である。 4.欠礼のお詫び 年末年始にかけて、いろいろ頂きながら、礼状も失礼しがちになり、年賀状も書くひまなく、新しく刊行された「愛 蔵版坂村真民詩集」の扉書きや、発送等で、どうすることもできない毎日であった。 どうかお許しいただきたい。 5 前月号から 一位 ただひたすらに。二位 念。三位 永遠の微笑。四位 坂を越えてゆく者。五位 光と杉でした。 読者があって、わたしがある。そう言ってよい詩国である。 どうかよろしくお願いします。
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