
坂 村 真 民 の 世 界
よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新12.10.06)

(瀬戸内海に沈む夕陽・2000年6月撮撮影)
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坂村真民さんの略歴 明治42年1月6日 熊本県に生まれる。8歳の時に、父親 の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇 学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年 から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩 作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛 評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随 順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、 月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発 刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によっ て建てられる真民詩碑は日本全国46都道府県に分布し、 その数は現在,海外の20基と合わせると560基を超える。 主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。 (朴庵例会が開かれる、開花亭前の真民さん(12.9.3撮影) |
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ダチュラの花 田中一村の絵で 初めて知った ダチュラの花が 今年は わたしの家でも よく咲いた 一途に 生きた人の 愛した花ゆえ 強く 語りかけてくる ダチュラの花 |
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(タンポポ堂に咲いたダチュラの花) |
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新しい宇宙観 楽しいうたを作れ 鳥も楽しく 鳴いているではないか 花も楽しく 咲いているではないか 母なる星 この地球は もともと楽しい処だった ところが人間というのが 出現して以来 戦争ばかりをし この楽しい園を破壊し 核爆弾まで造って 地球の破滅まで 敢えてする人間となった 地球は人間だけのものではないのだ だから元に戻してゆく 新しい宇宙覿を 確立しよう |
九十代を楽しく生きよう 足が重くて痛いとか 妻の病気が悪くなったとか いろいろのことがあるが もっともっと 苦しんでいる人のことを思えば まだまだいい方だと 善い方へ想念を持っていって せめて心だけでも 楽しく生きよう 今日(きょう)は そう思って 自分を励ました ああ 九十代を生きるのは ありがたいことだ すべてに感謝して 楽しく生きよう |
広い世界に出よう 国が小さいから 人生組も 世界覿も 小さいというのは もう速い以前のことだ 今は南アメリカのペルーから 電話も ファックスも すぐに届くし 声も聞こえてくるし 地球はもう 一つになったのだが 人間の争いは絶えず 罪のない難民たちは 食に飢え 病苦に泣さ 権力者 独裁者のため 桟牲者になっている 地球を救え 地球を守れ |
酸 素 無袖論者たちへ 木木たちが 黙って 出してくれている 酸素への感謝 無神論者たちよ そのことだけでも 知ってくれ |
想 念 百歳になって 「百歳」という 詩集を出そう そんなことを ふと思った 笑われるかも知れないが 断定の想念としよう |
通 告 信仰をなくした民の 末路を思え わたしは今の日本に そのことを 通告する |
体 験 今日は 関東大震災記念日 母は東京見物に行って 二日前東京を去り 命拾いをした 信仰は体験である |
風になれ 風は 帰ってこない 引き返しはしない 進んで行くだけだ しんみんよ 風になれ |
インカの石 天から落ちてきたという インカの石で 足の裏を叩いていると 遺伝子たちが言う 絶文時代の人たちは みんなそうして 病気を治したんだと 滅びたインカの神々が タンポポ堂に来て いろいろ語ってくださる 楽しみが増えてきた |
宇宙心霊 宇宙心霊の信仰 そういうことが 皆にわかってくれば 戦争もやむでし上う 各宗教の争いもやむでしょう 大字宙 大和楽 アーウン アーウン アーウン です |
まこと まことは 宇宙の本質 人間の本領 |
仰げばなつかし 食うものもなく 貧しかった 六魚庵時代 わたしたち一家の 星であった 六つ星スバルが 空に見えるようになつた 大地はまだ暑いが 空はもうすっかり 秋なのだ 春夏秋冬を持つ 祖国日本をみんなで 幸せにしようではないか |
足心菩薩 足心菩薩さま 老いて信心が 薄らいできたのか 足の裏の痛む日日が 続きます 杖などつかずにきたのに 杖が必要になってきました どうかお守りください 百歳まで 生きたいのです 生きて祖国の幸せを 祈りたいのです |
世紀二千八年 世紀二千八年は 数えの百歳 みんなに助けられ 神仏に守られ そこまで行こう 足を大事にし 彼岸の祈りを 続けるのだ 愛する朴よ お前たちも 木力(気力)を 与えてくれ |
聞いてください 再びと来る 旅ならず 鳴く鳥 行く雲 みな親し 飛天となりて 来る時は 琵琶を弾きましょ この森で 聞いてください その時は |
後 記 1 田中一村のこと 巻頭詩として掲げた田中一村は、私の長い生捷の中で、一番感動した画家である。 誰が何と言おうと、私は一村の絵に、その一途な姿勢に、命を傾けて感服したのである。 北方志向者の多い中で、私は南方志向者である。その点も一致している。個室に篭もり独りの生を好むのも、 彼に似ている。また画にしろ、詩にしろ、命を傾けて、万里一条鉄のものでなくてはならぬという、信仰的とも言 える生き方であらねばならぬという、非現代的生き方も、私に似ていて、松山の美術館で、初めて本物の絵に 接し、開館日、閉館日、そして、その中間も二回、つまり四回私の体に、一村の絵と命とが染み込むまで、見 続けたのである。 その中で特に私の心をとらえたのは、ダチュラとアカショウビンであった。 花と鳥。どちらも私は知らない。知らない花と鳥とが、私をとらえ、何としてでも会いたかった。そして会いた い一念が、花を咲かせ、ダチュラの花が、タンポポ堂に咲くという、一l村と真民との出会いとなった。 田中一村伝「アデンの画帖」 の帯には、こう書いてある。 画壇に背を向け 生涯、妻を娶(めと)らず 自らの・才能だけを信じ 貧窮をものともせず ひたすら絵をかいた 六十九年の軌跡。 東京、千葉・奄美と、 移り住んだ一生を追う。と、 ダチュラの花が 語リかける言葉を しっかリと聞き わたしも二度とない人生を しっかりと生きてゆこう。 2 母なる神 私は「母なる神」の在(い)ます伊勢に、十八歳の時から二十二歳になるまで、四年間いた。これは私の全生 涯に、大きなものを与えている。父母未生以前から、私を守り導いて下さっている、目には見えない方を、私が大 詩母さまと言ったり、未明混沌(こんとん)の刻に起床して、円相ヨガ気海丹田法をやり、唱え柊わって、大宇 宙母さまと言ったりするのも、母なる神とつながっているのである。 日本国の象徴である富士山の頂上に、木花開耶媛(このはなさくやひめ)を祭る民は、平和を尊ぶ国民であ る。そのことを心底から知り、もう二度と戦争を仕掛けるようなことをしてはならぬ。 3 二十一世紀の扉を開く本 二十一世紀の扉を聞く本が、致知出版社から発売された。是非読んで、志気を奮起して貫いたい。森信三先生の 講話録 「真理は現実のただ中にあり」という本である。講話だから、わかりやすく、そして心情がこもっている。 書店に出ているが、東京都港区南青山6−1−23。致知出版社。1600円。 森信三先生の「人生二度なし」、これは不磨の法語である。お歌にも、 これの世の再ぶなしといふことを 命(いのち)に透(とほ)り知る人すくな と、いうのがあるが、まさに、その通りである。どうか座右に置いてください。そして二十一世紀を、烹義深く 生きてください。 4 お知らせ 明治生まれの私には想像もできないほど、変わって行きます。その一つにインターネットがあります。 この度、「詩国」を中心として、私に関する事柄を載せたホームページが開設されましたのでお知らせします。 URLは、次のとおりです。お知り合いの方にも敢えてあげてくだされば幸甚です。 http://homepage2.nifty.com/tanpopodou/ 5 前月号から 一位命なりけり。二位祈りに祈る。三位美しい絵。四位祈る。五位今日からはでした。 御多忙の中を、お読み頂き、感想をお知らせ下さるありがたさに、手を合わせ奮起しています。 |